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閑話・・子規と鰻

お断りしておきますが、私が唯一口に出来ない食べ物は鰻です。喰わず嫌いではありません、長い人生で三度、食べたことはあります。我がことはさておき、そんな訳で鰻に詳しくはないので間違った「鰻情報」もあるかもしれません。


明治34年9月12日、食欲旺盛な子規が食べた夕食(「仰臥漫録」より)
 飯一碗半 鰻の蒲焼七串 酢牡蠣 キャベツ 梨一つ 林檎一切れ

この「蒲焼七串」がずっと私の頭から離れませんでした。
鰻の一串は、多分、一匹の半身のこと。それは江戸時代から変わらない量だと思います。仮に大きな鰻で四分の一だったとしても、量は変わらないはず。
では、今の普通の大人が一度に食べる量は・・豪華なうな重でも二串でしょうか。鰻好きな男性に聞いてみたところ、結構脂っぽいから飯抜きでも三串以上は食べられないだろう、との返答でした(値段は考えないとしても)。
病床にある子規の健啖は、この「蒲焼七串」がもっとも語っているかもしれません。

「蒲焼七串」が頭にあって先日読んだ夏目漱石の回想談に、なるほど、と思う内容がありました。(ホトトギス・子規居士七回忌号より)
その回想談の最初の話。明治28年8月、子規は療養のために須磨から故郷の松山へ戻り、松山中学の教師だった漱石の下宿に逗留します。下宿といっても4室ある二階建て、結核の子規はその二階で静養していました。そこへ子規の門下生が毎日のように大勢訪れて、
「・・僕は本を読むこともどうすることも出来ん。(・・略・・漱石は)兎に角自分の時間といふものが無いのだから止むを得ず俳句を作った。其から大将は晝になると蒲焼きを取り寄せてご承知の通りぴちゃぴちゃと音をさせて食ふ。其れも相談も無く自分で命じて勝手に食ふ。まだ他の御馳走も取寄せて食ふたやうであったが僕は蒲焼のことを一番良く覚えて居る。それから東京へ帰る時分に君拂って呉れ玉(ママ)へといって澄まして帰っていった。僕はこれには驚いた。・・」
子規は鰻の蒲焼が大好物だったのです。自分の分だけではなく、もしかしたら集まる門下生にもふるまったかもしれません。
明治時代、鰻は今ほど高価なものではなかったと思います。昭和20年代でもわが田舎の海辺の村では川に鰻を捕る仕掛け(ツッポと言っていました)がありました。が、漱石の談に「他の御馳走も・・」とあるので、蒲焼が安価なものではなかった、と推察されます。
当時の漱石の俸給(月給)は80円。上級公務員の初任給が50円、銀行員の初任給が約35円という時代(ネット調べ)ですから、英語を教えることの出来る漱石はかなりの高給待遇でした。とはいえ、朋輩の友人が食べ放題に食べて、あとを任された漱石の呆れようが推測されます。

話を蒲焼七串、に戻します。
七串を食べた直後の14日の夜半(午前2時ごろ、とありました)子規は腹痛に襲われて「絶叫号泣」して、一日絶食。
翌15日にはお粥でしたが、昼食には泥鰌鍋を食べています。
翌16日の夕食には、また鰻。だだしその量は書いてありまん。
この日、子規は「大坂デハ鰻ノ丼ヲ「マムシ」トイフ由聞クモイヤナ名ナリ僕ガ大坂市長ニナツタラ先ヅ一番ニ布令ヲ出シテ「マムシ」トイフ名ヲ禁ジテシマフ」と書いています。
いかに鰻を愛していたかが解ります。鰻もマムシも嫌いな私には何とも言い難く・・

私の中では現代の蒲焼なるものは高級品、という概念がありますから、当時の値段を知りたくなりました。
その月の29日の夕食には「鰻飯一鉢(十五銭) 飯軟ラカニシテヨシ」と書かれていました。わざわざ料理の良しあしを記述するのは珍しいことです。鉢、ということは鰻丼だったのでしょう。刺身一皿15銭、などという記述もありますから、現代のようには高価ではないけれど庶民にはちょっと贅沢、という食べ物だったのでしょうか。
その翌日の9月30日、子規は家計について詳しく述べていて、日本新聞社から40円、ホトトギスから10円、合計50円の収入で母と妹との暮らしを立てていたことになります。参考までに、渡英前の熊本時代の漱石の月給は100円とか。
上述の通りの世間の給料からすれば、少しは贅沢な食べ物も許される収入だったのでしょう。とはいえ、同じような贅沢を母や妹はしていたのかどうか・・「病人には滋養をつけねば」という時代、きっと母も妹・律もつつましい食事をしていたのではないでしょうか。
律が子規に命じられて鰻屋へ急ぐ姿を思い浮かべると、ちょっぴり哀れを催します。

母と二人妹を待つ夜寒かな   子規 明治34年
いもうとの帰り遅さよ五日月      〃


参考 現代日本文学大系(筑摩書房)正岡子規編
    子規全集(講談社)別巻二 回想の子規(一)

※引用の字については、旧漢字を略したところもありますのでご了承願います。 (くみこ記)
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by hakusanfu-ro | 2013-06-27 15:39

子規と虚子・・道灌山の茶屋

柿くふや道灌山の婆が茶屋    明治29年

この句が作られた明治29年の3月、子規は結核性脊髄炎と診断され、いよいよ身動きのとれない闘病生活に入ります。29年に作られたこの句は本当に茶屋に行ったのだろうか?とふと疑問に思いました。無論、根岸では頻繁に句会が開かれていたのですから即吟であっても良いのですが。

ところで、この「道灌山の茶屋」については、虚子の「子規居士と余」(大正4年著)にとても詳しく書かれています。
前年の28年、従軍中に喀血して倒れ、神戸で生死の淵をさまよった子規を、京都から駆け付けた虚子が看病した話はよく知られています。ドナルドキーン氏の「正岡子規」にも書かれています。そして、病状安定したのち、須磨の保養院へ移り、虚子もまたそこでも子規を看病。自分の余命を悟った子規は虚子に「自分の後継者となって欲しい」と申し出て、虚子はうやむやの返答で別れました。虚子22歳の夏のこと。まだ自分の生きるべき道を模索中の若者に即答が無理なことは当然でしょう。
そしてその年末に子規は東京へ帰り、いよいよ根岸での闘病生活が始まるのです。が、29年の初めころにはまだ腰痛に耐えながらも外へ出ることは可能だったので、虚子は子規に呼び出されて道灌山の茶屋まで同行します。

道灌山は、今も地名には残っていて、西日暮里駅の西側あたりかと思われます。根岸からは、歩いてもさほどの距離ではありません。
かつて太田道灌の出城があったと言われていますが、現在はほとんどその形跡すらないとか。ただ、江戸時代には平野を見渡せる景勝地だったようで、明治の頃にはまだその名残りがあったのでしょう。「子規居士と余」によると
「・・稲を刈り取られた寒い田圃を見遥るかす道灌山の婆の茶屋に腰を下ろし・・」
とあります。
おそらく子規はその店へ行ったのは初めてではないと思われます。
子規が「菓子をおくれ」と婆さんに注文すると、大豆を飴で固めたような菓子を一山持ってきました。虚子はその一つだけを食べました。山盛りの菓子、あとは子規が食べてしまったのでしょう。
この茶屋で二人は長々と語り合います。そして「後継者になって欲しい」と再度促しますが、虚子はきっぱりと断ります。
後継者という位置づけにはなりませんでしたが、虚子が子規の薫陶を受け、その師系が脈々と続いてることは、俳句を志す者の皆知るところです。

子規と虚子のその後の人生に、この「道灌山の婆の茶屋」は重要なターニングポイントだったのです。
29年、子規は何度か吟行に出かけています。「寒山落木」には「車ニテ上野ノ桜ヲ見テ還ル」とありますから、痛みに耐えながらも車(人力車)にに乗って句仲間と遊吟出来る体力のあった最後の年だったのでしょう。
その後も、雨の板橋・赤羽へ一泊、仲秋の上野、目黒、そして船橋の中山寺へ一泊、と遠出しています。
が、年末にはついに褥瘡が出てしまいますから、その後は病床から動けなくなりました。

虚子から後継者を断られた道灌山は、多分子規にとって生涯忘れ得ない場所だったに違いありません。その茶屋で本当に柿を食べたかどうかは定かではありませんが、柿の句として残したことにその重要さが感じ取れます。

私は日暮里方面には疎いのですが、5年前、やむにやまれぬ事情で日暮里から西日暮里を歩いたことがあります。起伏の多い土地で、今はJRのたくさんの線路で東西が分断されていて、今は決して風景の良い場所ではありませんでした。
今度、機会があったら根岸から道灌山まで歩いてみたいと思いました。

   漱石が来て虚子が来て大三十日(おおみそか)  子規 明治28年



参考・・現代日本文学大系(筑摩書房) 正岡子規
         々               高浜虚子

                                (くみこ記)
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by hakusanfu-ro | 2013-06-16 14:32


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