子規の「平気」 『病牀六尺』

学生時代から細く長く続いている四人仲間の交流の場で、正岡子規を話題にしましたら、「平気」が高校の教科書に載っていると教えられました。高校生も読んでいる「平気」を私も読んでみることにしました。東京書籍『現代文精選』執筆者は長谷川櫂氏です。

 第一段落  子規の、鉄板で炒られるような痛みと闘う生活を支えた、「平気」の一語
  第二段落  何にでも笑いの薬味を添えた滑稽家の子規
  第三段落  臨終の場面で、子規自身へ向けられた滑稽の精神

 長谷川氏は 「絶筆三句こそが子規の面目躍如の句である」 と結論しています。
 
私が正岡子規の名前を知り記憶に留めたのはやはり教科書からでした。

    瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり
    
    いくたびも雪の深さを尋ねけり

こうした作品から子規が病床に伏せて俳句や短歌を詠んだことを知りました。
今の高校生は子規の内奥の究極の言葉に接している、それは新鮮な驚きでした。
去年子規庵で買った岩波文庫『病牀六尺』を取り出しました。読みやすいワイド版です。 

  
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「平気」の一語とは『病狀六尺』明治35年5月31日の言葉です。

   「余は今まで禅宗の所謂悟りという事を誤解していた。悟りという事は如何なる場合にも平気で
    死ぬることかと思ってゐたのは間違ひで、悟りとゐう事は如何なる場合にも平気で生きて居る
    ことであった。」

「5月は厄月」と言っていた子規はこの年も5月13日に生死の境をさまよう激痛に襲われました。その5月をどうやら乗り越えて、上の文章を31日に書いたのです。『病牀六尺』は明治35年5月5日から子規の亡くなる二日前の9月17日まで新聞『日本』に連載された子規の最後の随筆集です。

高濱虚子の口述筆記により

   「病牀六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病牀が余には広過ぎるのである。」

と書き始められた第一回。病状と苦しみを書いた後に、土佐の柏島の水産補習学校を話題に取り上げてこのような校長の元で教育を受けたら楽しいであろうと記しています。
牡丹、寒牡丹の話から上方、東京の音曲、美術、俳句の比較へと思考を巡らし(三)
欧州に二十年滞在した人からの話をもとに、日本を外国とを比較検討するその断定の小気味良さ。
                                                         (二十三)
子規が六尺の病牀から発信する話題は・・猟銃の話・・釣りの餌の話・・硯の話・・団扇の話・・炊飯会社・・双眼写真・・と多様な面白さです。就職の際に陸羯南が見込んだ子規の大人ぶりも随所に発揮され、女子教育(六十五)、家庭教育(九十六)と広い知識と見識が示されています。

最晩年の病床で、子規の思考力と審美眼は比較検討を怠りませんでした。
西洋画と日本画を比較し、南岳・文鳳を比較し、円山応挙や安藤広重の画帖を丹念に鑑賞します。ある時は『光琳画式』と『鶯邨画譜』をつくづくと愛でて鑑賞を深めて行きます。

謙信と信玄のどちらが好きか。西洋酒と日本酒は。西洋梨と日本梨は。碁の手将棋の手。
子規の旺盛な好奇心と比較検討する楽しさに私は子規の病状を忘れていました。

河東碧梧桐から借りた硯を詠んだ三句があります。
    
    
    墨汁の乾く芭蕉の葉巻かな
    芍薬は散りて硯の埃かな
    五月雨や善き硯石借り得たり

碧梧桐が貸してくれた亡兄のかたみの硯には芭蕉の葉が彫られていたようです。 道具の贅沢はしようとは思わなかったが、硯だけは良いものが欲しいと思いながらも大金は出せぬと諦めていた、と子規は言います。この石材はあまり良いものとは思われないが、などと言いながら、子規は朝夕この硯を眺めていたのです。    (三十二)

暑さに耐えかねた子規のために碧梧桐が風を起こす機械のようなものを作りました。子規はこれを風板と名付けます。

    風板引け鉢植の花散る程に     (六十八)

穏やかな時間は常に苦痛の上にありました。三十八回には、「如何にして日を暮すべきか、如何にして日を暮すべきか。」の言葉が記されています。子規における「平気で生きていること」の真意が「如何にして日を暮すべきか」の言葉によって明らかにされます。苦痛を封じ込む闘いが「平気で生きている」ことでした。枕元に届いた様々な品物や絵画、画帖に慰められながら、食を楽しみながら、子規は「平気」で生きる意志を持ち続けました。多くの友人、門人が子規の枕元に集うことで子規は社会との関わりを持ち続け、友人に助けられながら生の証である執筆を続けました。

次の四十一回はそんな子規のある一日を伝えています。

    この日逆上甚し。新しく我は慰めたるもの

    1、果物彩色図二十枚
    1、明人画飲中八仙図一巻(模写)
    1、霞崖画花卉粉本一巻(模写)
    1、汪淇模写山水一巻
    1、煙霞翁筆十八しゅん法山水一巻(模写)
    1、桜の実一籃
    1、菓子麺包各種
    1、菱形走馬燈一箇

     来客は鳴雪、虚子、碧梧桐、紅緑諸氏。
     事項は『ホトトギス』募集文案、蕪村句集秋の部輪講等。

     食事は朝、麺包、スープ等。
     午、粥、さしみ、鶏卵等。
     晩、飯二椀、さしみ、スープ等。
     間食、葛湯、菓子麺包等。
     服薬は水薬三度、麻痺剤二度。     (四十一回)

この日は麻痺剤を飲むこと二回、数巻の日本画を鑑賞しさらに模写をしています。
子規の勤勉さと我慢強さ、強靭な精神力が思われます。子規は六尺の病床で山水画の自然を胸中に取り入れて想像の世界を楽しんだことでしょう。古今東西の絵画、画譜画帖の自然空間に自由に想像の翼を広げて、子規は渓谷を見下ろしながら山道をたどり、竹林の風音に聴き入ったことでしょう。

子規は予てより絵が好きでした。明治32年頃から自ら描くことを楽しむようになり『果物帖』『草花帖』を残しました。花の色を出すために絵の具を滲ませたり紙に穴が空くほどに重ねたりしながら、子規は色彩の美しさに没入する時間を過ごします。その楽しさは優しく美しい言葉となって『病牀六尺』に記されました。

    草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生して居ると、造化の秘密が段々分かつて来るよう
    な気がする。                                      (八十七)
    神様が草花を染める時もやはりこんなに工夫して楽しんでいるのであろうか。(八十九)

上澄みのような美しい言葉を記した『病牀六尺』は、百二十七回(9月17日)

    俳病の夢みるならんほととぎす拷問などに誰がかけたか

の歌で終わっています。               


 子規の絶筆三句はその二日後に詠まれました。 

      糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
      痰一斗糸瓜の水も間にあはず
      をとといのへちまの水も取らざりき 

            合掌  



 参考図書 『現代文精選』 東京書籍
        『俳句的生活』 長谷川櫂著 中央公論新社
        『病牀六尺』 正岡子規著 岩波書店     

                                           (千惠子)  














   
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by hakusanfu-ro | 2013-10-26 08:33


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