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閑話Ⅱ・・子規と果物

梨腹も牡丹餅腹も彼岸かな 明治34年

前回は、子規といえば柿・・ということで柿のことを書いてみました。
今回は、それ以外の秋の果物について。

子規が「仰臥漫録」を書いた明治34年ごろに、日本人はどんな果物を食べていたのでしょう?
子規は「くだもの」の中で「バナナ、パインアツプルは旨い」と書いています。そんな南国の果物がなぜ子規の口に入ったかというと・・明治28年には台湾が清国から割譲されていますから、台湾産のものが出回っていたのでしょう。
果物が異常に好きな子規は「くふたことのないのは杉の実と万年青の実くらいである」と書いています。桑の実・榎の実・木苺・苗代茱萸(ぐみ)など、自然の中にあるものを子規は子供の頃から好んで食べていたようです。鳥の食べるものには毒がない、と言いますから、昔から人間は鳥に教わって食べていたのです。
でも、子規が「杉と万年青以外は何でも食べた」というのは勢いで書いてしまったことだろうと思います。
数年前、一緒に散歩していた知り合いの少年が、鳥が美味しそうに食べていたから、と赤い木の実を口にしてその苦さに七転八倒したことがあります。ご注意を。

「仰臥漫録」は、寝たきりとなっている明治34年年9月から、一時中断があって35年9月までの記載があります。生前は発表されなかったので個人的な「病床日記」であったと思われます。
そこには普通の日記風の記録と同時に毎日の食事内容が克明に記載されています。書き始めたのが9月ですから果物の季節。
食べた果物は、梨に始まり、栗・柿・林檎・葡萄・蜜柑、と現在と同じものです。しかもそれを毎日二種類くらい食べています。

9月10日に食べた果物を抜き書きしてみると・・
昼食・梨2個、林檎1個
間食・梨2個、林檎1個、焼き栗8~9個、ゆで栗3~4個
夜食・梨2切れ、林檎1個
ちなみに、昼食も夕食も健常人と同じだけ食べています。いえ、それ以上に食べています。
9月のこの時期に林檎・・今とは違い冷蔵保存の出来ない時代に?と思いましたら、前日に虚子の使いの者が、青林檎20~30個を見舞いに持参、とありました。
今でも青林檎は秋の始めに出回ります。が、当時から同じように出回っていたとしても、林檎は東京近辺では収穫出来なかったはず。かなりの贅沢品だったと思われます。 
ちなみに、上に記載した果物は、林檎を除きすべて昔から日本に渡来していたものです。が、品種改良などで今のような品種を安定栽培できるようになったのは明治になってから。東京近辺で栽培出来ていた梨や栗・柿はいざ知らず、葡萄や蜜柑・林檎などどんな運送法をだったのかしらん?と考えてしまいます。
子規の死後半世紀経った私の子供時代、戦争直後に食べた果物は、子規が書いているのと同じく自然にあるものと庭にあるもの・・イチジク・柿・枇杷・・くらいでした。林檎は大変な贅沢品で、箱の籾殻を探って出てくる林檎は宝物のように見えました。1個を姉妹3人で切り分けて食べたことを思い出します。

話が脱線してしまいました。でも「仰臥漫録」から明治の食生活を分析してみるのも興味深いものがあります。

栗飯や病人ながら大喰ひ      明治34年
かぶりつく熟柿や鬚を汚しけり     〃
                                       (玖美子記)
by hakusanfu-ro | 2012-12-27 15:16


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