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閑話・・子規と柿

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 明治28年

子規に「くだもの」という随筆文があります。明治34年の春の執筆ですから、病床であれこれと果物のことを考えて書いたのです。(筑摩書房・現代日本文学大系「正岡子規」より)
その中の「くだものと余」というところには・・子供の頃から好きだった、と言い、
「書生時代に・・二ケ月分の学費が手に入つて牛肉を食ひに行ったあとでは、いつでも果物を買ふて来て食ふのが例であった。大きな梨ならば六つか七つ、樽柿ならば七つか八つ、蜜柑ならば十五か二十位食ふのが常習であった」
と記述しています。買い置くのではなく、一度にそのくらいは食べてしまう、ということなのです。若いころとはいえびっくりする量です。
この「くだもの」の最後に、明治28年に奈良の宿に泊まったときに食べた柿のことが詳しく書かれています。
千惠子さんの子規の年表をご覧いただけば、その時期が子規の生涯のどこにあたるかが解ります。
おおよその内容は(引用部分はそのまま写しました)

 病気療養していた故郷から上京する途中の十月末に、三日ほど奈良に滞在。柿がたくさんある奈良の風景に魅了された。そして、宿でその「御所柿」をたくさん持ってこさせて食べる。下女が、一尺五寸もあるような大丼鉢に山のような柿を持ってきて、それを剥いてくれた。
「・・やがて柿はむけた。それを食ふてゐると彼は更に他の柿をむいてゐる。柿も旨い、場所もいゝ。余がうつとりとしてゐるとボーンといふ釣鐘の音が一つ聞えた・・あれはどこの鐘かと聞くと、彼女は、東大寺の大釣鐘が初夜(そや)を打つのであるといふ・・」
東大寺は宿のすぐそば、東大寺が自分の頭の上にあるような位置だったのです。

※初夜・・戌の刻、またその刻におこなう勤行。

柿くへば鐘が鳴るなり東大寺・・だったのです。

果物の中でも一番好きだった柿。さて、法隆寺の句以外の子規の「柿食ふ」句は、というと

柿くふや道灌山の婆が茶屋    明治29年
淋しげに柿くふは碁を知らざらん 明治31年
柿もくはで随文随答を草しけり   明治32年
柿くふも今年ばかりと思ひけり   明治34年
                    以上、「寒山落木」より
※「随文随答」は、「ほととぎす」に連載した、俳句に関する一問一答の欄だったようです。

本当に好きだったのですね。最後の句の翌年には柿を食べることなく世を去りました。心残りだったことが思われます。

歳時記(角川書店)に、こんな句があります。

柿食へと天よりの声子規波郷   草間 時彦

私自身のこと。
子規の人生より倍も生きてしまいましたので、生まれてから今までに数多くの果物を食べました。異常なほど果物好きの子規の食べたものよりも、種類は多いことでしょう。でも、最近は「果物で何が好き?」と問われたら多分「柿に勝るものはない」と答えるでしょう。
美味しい、と思う果物のあれこれを食べてきて、結局は子供のころに親しんだ柿へ戻ってしまったのです。さて、来年も食べられるように私は元気で居なくては。

「子規と果物・食べ物」については、また考察したいと思います。 (玖美子記)
by hakusanfu-ro | 2012-11-07 16:35


正岡子規に学ぶ


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