子規庵

9月19日の子規忌に
久しぶりに子規庵へ行ってみました。

子規庵保存会が遺品展を開いていて、八畳間と六畳間に、墨、硯、文鎮、落款、
千枚通し、舶来の黒眼鏡、ランプなど、子規の愛用品が公開されていました。

籠に一羽の鶉がいました。
豆腐料理「笹乃雪」の社長さんが飼っている鶉を借りているそうで
「鶉も毎日子規庵に出勤しているんですよ。」と保存会の人が教えてくれました。

その傍らに子規が描いた「鶉」の絵が添えられています。
明治32年春、高濱虚子から貰った鶉はつがいでした。後年子規が鶉を描いた時には
すでに一羽になっていましたが、子規は鶉を寄り添わせて二羽描きました。

糸瓜棚の向こうに白萩と鶏頭の花が咲いています。

今までは子規庵に上がると、終焉の六畳間に座って机と糸瓜棚を見てから
庭を歩いて帰って来ていましたが、今回は
六畳間の襖隣の四畳半が律さんの部屋であったこと、八重さんは御台所脇の
三畳間に就寝されていたこと、を教えていただきました。その三畳間には
『獺祭書屋俳句帖抄上巻』が硝子ケースの中に展示されていました。


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河東碧梧桐の回想によると

明治35年9月18日の午前11時頃、
律が画板を支えると、子規も自分の左手で画板の下を持って、
板に貼った唐紙に墨で糸瓜三句を書く・・

糸瓜咲いて痰のつまりし佛かな   (紙の真中に)

痰一斗糸瓜の水も間にあはず    (左に)

をととひのへちまの水も取らざりき  (右の余白に)

の順番で書いて、
子規は筆を置くことも大儀そうに筆を持ったままにしていて
穂先がシーツに落ちて墨のが痕がついた・・・


碧梧桐は子規の筆跡の確かさから、まだ死を予想できずに
『ホトトギス』の校正をするために帰りました。

絶筆三句が書かれた唐紙は東京国立博物館に保管され
子規庵の庭にはこの三句の句碑があります。
雄渾ともいえる子規の筆跡です。

明治35年9月19日午前1時頃、子規は永遠の眠りにつきました。  

子規の亡きあと、八重さんと律さんが住み、
やがて律さんが裁縫を教えながら住んだ子規庵。
昭和20年の空襲で子規庵は焼失しましたが、
子規の蔵書、資料は子規庵の庭の蔵に保存されて戦火を潜ることができました。
子規庵の隣に住んでいた寒川鼠骨(さむかわそこつ)が建てた蔵です。
今の子規庵は鼠骨が中心になって昭和26年に建て直されたものです。  


                                  
  参考 「子規庵友の会だより」第5号(8月25日発行)
      子規庵「年表」
      『子規全集』第22巻年譜、別巻2  講談社
                                 (千惠子)
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by hakusanfu-ro | 2012-11-07 09:10


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