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花木槿雲林先生恙なきや   子規


寒さが増す今日この頃、ふっと松山空港に着陸する時に視界を過ぎった青い海を思い出します。
「宇多喜代子・黒田杏子道後俳句塾」へ参加した、まだ秋暑しの頃の海の色です。

9月14日道後公園駅前は秋祭りの神輿に賑わっていました。
道を尋ねると、すぐ近くとのこと、やがて広やかな道路前方に松山市立子規記念博物館が見え、
正面外壁に縦長の白布が掲げられているのが見えました。

  花木槿雲林先生恙なきや   子規

「子規の今月の句」です。
明治28年10月2日、松山に帰省していた子規が近くを通りながら雲林先生を思って詠んだ俳句です。
子規は外祖父大原観山の他にも河東碧静渓や元松山藩士で漢詩学者の浦屋雲林に漢詩を習い、
南画の影響も受けながら育ちました。
上京してからも子規は雲林先生の添削を受けていました。


   松山や秋より高き天主閣  子規

子規記念博物館二階の展示室へ行くと、赤い屏風に仕立てられたこの俳句に迎えられ、「ああ松山に来た」
との思いがあらためて湧き上がりました。
根岸子規庵が上京後の子規の活動の場、終の棲家であったことを一方に、松山市立子規記念博物館は松山の風土と文学を紹介しながら子規の時代と子規の生涯を語り、子規の目指したものを示してくれていました。正岡子規を育てた松山の地がいつも子規を受け入れるべくおおらかにそこに在ったことを思いました。

『寒山落木』が展示されていて硝子の内側から青い光を放っているように見えます。
子規が描いた絵を見ていると「神様が草花を染める時も矢張こんなに工夫して楽しんで居るのであらうか。」という子規の言葉が蘇って来ます。子規はなんと佳い絵を描いていたのでしょう。温かみある筆致と美しい色彩に見入りました。館内の愚陀楽庵の畳に座ると周囲の景色が消えて一軒を棲み分けた子規と漱石の顔が浮かんで来るのでした。


  十年の汗を道後の温泉に洗へ  子規

俳句塾の最初に竹田美喜館長の講演がありました。「温泉」は「ゆ」と読みます。
明治29年、同郷の後輩・小川尚義(なおよし)が大学を卒業し帰省する際に、短冊にして贈った送別句です。謡曲を通じて親しくなった二人。尚義の卒業を祝い、脚気を患った尚義の苦労をねぎらう子規の気持ちが表れています。

    
  伊予の湯の汀にたてる霊の石これぞ神代のしるしなりける   古歌

伊予の湯は古代より「不老長生の湯」と言われて来ました。子規も上京を明日に控えた夜、遅くなってから道後を訪ね入浴したと、明治16年6月9日の漢詩に記しています。松山の人は何かの折に身を清め、大事な節ごとに心身を清めるために温泉に入るそうです。松山の人にとって十分に納得できる俳句なのです。

今、手元に『宇多喜代子・黒田杏子の道後俳句塾2014作品集』があります。テープ起こしをして編集された貴重な二日間の全記録です。松山市立子規記念博物館は郷土の伝統を礎に新しい文化を創造するために昭和56年に開設されました。今年で十年目になった「道後俳句塾」は毎年寶巌寺を定点観測して来たそうです。昨年8月10日一遍上人像は完全焼失しましたが、寶巌寺の再建着工の話が決まり跡地に杭が打たれていました。火災から山門を守った銀杏大樹が銀杏をしきりに降らせていました。

  春や昔十五万石の城下哉   子規

松山城へ向かう道沿いのビルの壁面に書かれていた俳句です。ここでも松山の人々の心ばえを感じました。天主閣から瀬戸内海の光と松山市街を望み、そして「子規堂」を訪ねることにしました。

「子規堂」は子規が上京するまで住んでいた家です。大正15年(1926)、子規の文学仲間だった正宗寺住職の仏海禅師がその家を境内に残しました。二度の焼失に合い、柳原極堂の記憶を基に建て直されて文学資料館になっています。
「香雲」の扁額を掲げた子規の勉強部屋が特に印象に残りました。扁額と机一つだけの部屋ですが、その狭い空間に本が積まれ、反故の紙類が散乱する様を想像するのも楽しいことでした。子規は漢詩を作り回覧雑誌を作り、友人と論議し、演説の草稿を考え、南画を描き、画家になることも考えたのでした。母親の八重さんは画家になることには反対したそうなのですが。

秋から冬へ季節は移りました。
現在、松山市立子規記念博物館の壁には12月の「子規の今月の句」が掲げられています。

  梅活けし青磁の瓶や大三十日    子規


         参考図書
         『子規の絵』 松山市立子規記念博物館  便利堂
         『宇多喜代子・黒田杏子の道後俳句塾2014作品集』 
                      松山市立子規記念館友の会

                                              (千惠子)
# by hakusanfu-ro | 2014-12-06 06:02

鶏頭の十四五本もありぬべし 子規  ②

鶏頭論争は「ありぬべし」の文法的解釈をめぐって続きました。

山本健吉氏が「ありぬべし」を 断定=感動の重さ と受け止めてその単純素朴な即興性を評価したのに対し、

大岡信氏は「ありぬべし」の 短歌のように7・7へ続きそうな未完結性の印象、思わせぶりとも取られかねない独り言の印象を指摘した上で

   完了の助動詞「ぬ」+推量の助動詞「べし」が結びついた。
   この用語法には完了だけでなく確信や確認を表す意味も加わって
   いるが現在ただいまの景を詠む客観写生の語法としては異様である。

と言います。そして

『近代文学大系』の『正岡子規』の補注をもとに根岸子規庵に門下生18人が集まったこの句会とこの日の子規を「小園の記」(明31・10)「根岸草盧記事」(明32・12)と読み合わせて「推理」をしています。
その要点は

   明治33年9月9日、子規は体調も宜しくなく、
   一回目の句会は九つの句題のうち「筆筒に拙く彫りし柘榴哉」の一句のみの出句。
   二回目の句題は「鶏頭」、子規は「鶏頭の十四五本もありぬべしの」の他に以下のような句を出句。

   鶏頭や二度の野分に恙なし
   誰が植ゑしともなき路次の鶏頭や
   朝顔の枯れし垣根や葉鶏頭
   萩刈りて鶏頭の庭となりにけり
   鶏頭の花にとまりしばつた哉
   塀低き田舎の家や葉鶏頭   

   子規は嘱目の写生句を作ったが満足しなかったのではないか。句作への倦怠感が過ぎった時、
   その日の庭に咲いている鶏頭から昨年冬の鶏頭をたたえた『根岸草盧記事』(明治32年・12月)
   の自分の一文が思い出され、去年の思い出のために子規は筆をとってすらすらと 
   鶏頭の十四五本もありぬべし と書きとめたのではないか。

つまり「根岸草盧記事」に著した「十本余りの燃えるやうな鶏頭」を思い出してたたえた句ということです。
去年の鶏頭をともに見た虚子と碧梧桐、この句会に碧梧桐は不在だが、虚子には通じるかと子規は思ったかもしれない、そう思った子規を考えると人恋しさのたゆう句とも言えるようだと大岡氏は書いています。虚子は気がつかずこの句に点を入れなかった(虚子は「鶏頭や」の句を採った) という結果になるのですが、その上で一層この句が好きになるのを感じる、と大岡氏は書いています。


昭和53年に刊行された『子規全集』(講談社)には子規を中心とした全ての「句会稿」が収録され、出句の全てと参会者の選句が詳らかになりました。『子規全集』22巻月報で山本健吉氏は この日の虚子が天・地・人に採った句とこの「十四五本」の句を比較して

   実の勝った当時の写生句から見れば、この句はむしろ虚が勝っている。俳句から見れば、短歌は
   虚が勝った文学であり、虚の世界になじむことが多い。だからこそ当時の写生派俳人に見過ごさ
   れた。本当はこれこそ、写生句、生きた命を写し、命の灯をともすという意味での写生句だったのだ。

と「十四五本」の句が傑出していると書いています。

評価をめぐって様々に論じられながら生き抜いている「鶏頭の十四五本もありぬべし」の句です。

林桂氏は
  
  「ありぬべし」の「ぬべし」は完了ではあっても過去ではない、
  辞書的には現在を主張している。

と指摘しました。また、この日の子規の人恋しさの「推理」には無理がある。選句は提出された「作品」に対しての判断であり、作句と選句の間には表出レベルの違いがある。との見解を述べました。

現在のインターネット記事を読みますと、作者の名前を知った上で俳句を境涯によって鑑賞することの
是非、そして「俳句の状況」と「俳句の核心」という問題へと発展して論じられています。
     
  
  


     参考図書 『子規・虚子』 大岡信著 花神社
            『子規全集』 12巻 15巻 22巻   講談社 
            『日本近代文学大系・正岡子規』 松井利彦著 角川書店
            『船長の行方』 林桂著  書肆麒麟
     参考記事 俳句空間 Weekuly鶏頭論争もちょっと 高山れおな
                        鶏頭論争もちょっとにちょっと 山口優夢

                                                           (千惠子)
# by hakusanfu-ro | 2014-09-11 10:08

鶏頭の十四五本もありぬべし   子規   ①

   
   明治33年9月9日子規庵での一句。
   今では有名な俳句ですが、その当時の俳人たちに見過ごされた俳句です。

   子規門の歌人長塚節がこの句を最初に評価して

  
          「この句がわかる俳人は今はいまい。」 と、斎藤茂吉に語り

   斎藤茂吉はこの句の真価を世に伝え

          「これから子規の進むべき純熟の句がはじまったのである。 
          もう寸毫も芭蕉でも蕪村でもないのである。」  (大正15年)

          
          と賞賛しました。


  
   高濱虚子選『子規句集』(昭和16年刊)にこの句が入っていません。
   
   評価の分かれる句として、
   昭和24,25年の俳壇でこの一句を巡って「鶏頭論争」が起こり、 虚子の俳句観や俳句の存在理由
   までが問われ、後年に影響を与えたと言われています。

   志摩芳次郎は 「鶏頭論争」について『現代俳人伝(一)』(昭和58年刊)で次のように書いています。

        「虚子が全然みとめなかったのだから、すでに決着がついているはずなのに、賞賛するものが
         現われたために、さらに否定するものが出てうるさいさわぎになった」

   
   この大胆な論調には驚きましたが、虚子を中心に据えた周囲の空気が伝わって来ます。

   
   志摩芳次郎は自己の見解として

  
          「ありぬべし」 のような「あやふやな表現は本来俳句固有の方法にはないのである。」
 
                        
          と書き、「虚子が俳句としてみとめなかったのは当然である。」結んでいます。

 

   山本健吉は 『現代俳句』(昭和39年刊)でこの鶏頭の句を熱く評価した人です。

   『現代俳句』は論を追うこと自体に快感を呼び起こされるほどに迫真的です。
   虚子が『子規句集』2306句中にこの句を入れなかったことを、

         「驚くべき頑迷な拒否」 と書き

   この句を否定する俳人の論に対峙するだけでなく、賛美する山口誓子や西東三鬼の論をも冷厳に吟味
   しながら、情熱的に自己の鑑賞を深めていきました。

   山本健吉は   

         鶏頭の一四五本もありぬべし  に即興感偶の主体的な鶏頭の把握を認めました。

        「武骨に健康を誇示する鶏頭に子規の生命は圧倒されても脅かされても いない」と
        子規の「無邪気さ、健康さ、たくましさ」を賞賛しています。さらに、

        「ありぬべし」 を 断定=感動の重さ と受け止めて

        「鶏頭の句は実際の鶏頭よりも力強い存在性を獲得している。現実の世界から作品の世界
         への移調なくしてなんの写生であろうか。」 

        と結論付けています。




        
         参考図書  『子規句集』 高濱虚子選 岩波文庫
                 『現代俳句』 山本健吉著 角川文庫
                 『俳人列伝(一)』 志摩芳次郎著 大陸書房 
                                                 
                                                
                                         
                                          

                                         (千惠子)  
# by hakusanfu-ro | 2014-06-27 11:51

『子規句集』と『子規の俳句』 ②

季語のいくつかを頭に置いて、虚子選『子規句集』と大岡信選『子規の俳句』を読み比べてみました。
代表的な季語、例えば

   「桜」を詠んだ句は
虚子51句、大岡氏22句 を選んでいますが、二人が重複して選んでいる桜の句は 
   2句しかありませんでした。

吾は寐ん君高楼の花に酔へ
寝て聞けば上野は花のさはぎ哉

   「柿」については
虚子20句 大岡氏28句 を選んでいますが重複する句は9句です。

渋柿やあら壁つづく奈良の町
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
柿くふや道灌山の婆が茶屋
渋柿は馬鹿の薬になるまいか
つり鐘の蔕のところが渋かりき
御仏に供へあまりの柿十五
三千の俳句を閲し柿二つ
樽柿を握るところを写生哉
柿もくはで随問随答を草しけり

   子規の「柿」には特に興味がありました。
   虚子が選んだ
  
柿くふも今年ばかりと思ひけり   

   を選ばずに大岡氏は一連の「胃痛八句」をまとめて選んでいます。明治32年に詠まれた八句です。

胃を病んで柿をくはれぬいさめ哉
側に柿くふ人を恨みけり
盗みくふ林檎に腹をいためけり
柿もくはて随問随答を草しけり   (虚子との重複句)
柿あまたくひけるよりの病哉
柿くはぬ病に柿をもらひけり
柿くはぬ腹にまぐろのうまさ哉
癒えんとして柿くはれぬそ小淋しき


生きることの具体的な営みである食、「胃痛八句」には子規の日常のつぶやきとため息が
漏れています。生きるために食し食することが生の証であった「病牀六尺」の世界が見えて
来ます。健啖家と言われた子規、子規の旺盛な精神力と天性の明るさ、それを思いながらも
病床の子規の顔が見えてきて少し切ない気持ちになります。

「子規の姿がありありと感じられる句集」という大岡氏の視点を再確認した八句です。




参考図書 『俳句的生活』 長谷川櫂著 中央公論新社
       『子規句集』 高濱虚子選 岩波文庫
       『子規の俳句』 大岡信選 増進会出版社
       『回想子規・漱石』 高濱虚子著 岩波文庫 
       『子規全集』  講談社 

                               (千惠子)
# by hakusanfu-ro | 2014-04-28 07:03

子規の「平気」~『子規句集』と『子規の俳句』 ①

 高濱虚子選『子規句集』  (昭和16年刊行) 2306句
 大岡信氏選『子規の俳句』 (平成14年刊行) 1400句

両氏の重複選句は約330句しかないそうです。 そこに着目して長谷川櫂氏は「滑稽家」正岡子規の
考察を深めました。
それぞれにどんな俳句が収められているのか、気になって、長谷川氏の「平気」の出典『俳句的生活』
を読んでみました。
選句の違いを考察し、その顕著な例として10句ずつ掲載されている虚子と大岡氏の選句例を書き出
してみます。

[虚子だけが選んだ子規の俳句の例]   

  青々と障子にうつるばせを哉
  箕笠を蓬莱にして草の庵
  名月や彷徨としてつくば山         
  政宗の眼(めだま)もあらん土用干    
  白萩のしきりに露をこぼしけり       
  絶えず人いこふ夏野の石一つ       
  春や昔十万石の城下哉
  ほろほろとぬかごこぼるる垣根哉
  砂の如き雲流れ行く朝の秋
  黒きまで紫深き葡萄かな 
     


 [大岡氏だけが選んだ子規の俳句の例]

 茗荷よりかしこさうなり茗荷の子                 
 ずんずんと夏を流すや最上川        
  春雨のわれまぼろしに近き身ぞ
  ひとり寐の紅葉に冷えし夜もあらん
  唐辛子からき命をつなぎけり
  竹の子の子の子もつどふ祝かな
  鶏頭の十四五本もありぬべし
  朝がおヤ絵ノ具ニジンデ絵ヲ成サズ
  枝豆ヤ三寸飛ンデ口ニ入ル
  糞づまりならば卯の花下しませ

長谷川氏は両氏の選を比較して
 
 虚子の選句は、自分が受け継いだ俳句の大道、笑いを排してリアリズムに徹する原則に沿っている。
 その結果、真面目な句を選ぶことになった。
 大岡氏の選句は原則を度外視して自分のおもしろいと思う心の動きを拠り所にしている。

と書いています。

高濱虚子は道灌山で「後継者になってほしい」という子規の申し出を断り「一小虚子」の立場を固持し 
ましたが、子規の亡きあとに俳句復帰を遂げました。河東碧梧桐の「新傾向俳句」に対して
子規以来の正統な俳句を守る立場に立ったのです。昭和16年の『子規句集』刊行時、虚子は既に
大正昭和の俳句界の中心的存在でした。その立場からの選句ということです。


一方の大岡氏は句集『子規の俳句』のあとがきで、
従来の『子規句集』にとらわれず「子規の精神活動が活発に営まれている姿がありありと感じられる
句集を念願した」と記し、子規の句の軽やかさを指摘しています。

そして大岡氏は2万数千句を通読して痛感したこととして

 病牀に縛りつけられてなお弾力性を持ち軽快な精神活動を続けた子規の精神の元気の良さ、
 それを支えた大きな要素は子規の想像力の活発な働きであること、
 根底に軽快に働く想像力があってこそ、写生や写実というものも陰影豊かな力になって実力を
 発揮するものだ。

と結んでいます。


 参考図書 『現代文精選』 東京書籍
        『俳句的生活』 長谷川櫂著 中央公論新社
        『子規句集』 高濱虚子選 岩波文庫
        『子規の俳句』 大岡信選 増進会出版社
        『回想子規・漱石』 高濱虚子著 岩波文庫 
                              
                                            (千惠子)
# by hakusanfu-ro | 2014-04-17 10:24


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